


絹本著色琴弾八幡宮絵縁起(香川県立ミュージアム所蔵)
重要文化財
時は平安の世に移り、唐より帰朝された宗祖弘法大師が、大同二年(807)に当山に参籠。八幡大菩薩の御託宣を感得され、薬師如来・十二神将・聖観世音菩薩・四天王等の尊像を刻み、七堂伽藍を建立。山号を七宝山、寺号を観音寺と改められ、八幡宮の別当に神恵院をあてられた。大師はしばしの間、当山に留まられ第七世住職を務められたと寺伝にある。以後、真言密教の道場として寺門は隆盛を極めた。
四国における弘法大師巡錫の霊跡は、遍路修行の地として僧俗問わず広く信仰を集め、やがて四国八十八ヶ所霊場が形成されていく。当山においては、琴弾八幡宮が第六十八番札所、観音寺が第六十九番札所として参詣され、一山に二霊場の形態となる。
その後、江戸幕府が倒れ明治維新を迎えると、新政府の神仏分離令布告により、琴弾八幡宮は四国霊場から切り離されることとなった。八幡大菩薩の本地仏である阿弥陀如来は観音寺西金堂に移り、別当であった神恵院が第六十八番札所とされ、現在のように一境内に二つの札所が並び立つ由縁となっている。


















毎月8日には、本尊薬師如来ご宝前にて、山主による護摩祈祷が厳修されている。

